日本を揺るがした怒涛の15年!幕末の流れをコンパクトに解説

幕末 流れ

そして、この事件が呼び水となり、過激派に扇動された長州藩は名誉回復を期して京へ攻め上りましたが[禁門の変]、御所を守る会津藩・薩摩藩らの前に敗れ去ったのです。

幕末の流れ⑤「長州衰亡への風向きを一転させた!高杉晋作の挙兵」

御所に兵を向けた長州藩は朝廷の敵となり、長州征伐の勅命が幕府に下りました。

さらに追い打ちをかけるように、英・仏・蘭・米の四国連合艦隊に下関が攻め落とされ[下関戦争]、立て続けに敗れた長州藩では保守派が主導権を奪還して、幕府に恭順の姿勢を示しました。

そして、征長軍で交渉の全権を委任された薩摩の西郷隆盛は、長州の弱体化を目論む幕府の思惑に反して降伏をあっさり受け入れ、第一次長州征伐が終結しました。

その裏には「これ以上長州を弱体化させると、次は薩摩が幕府の標的にされる」という西郷の深い読みがありました。

しかし、保守派政権に反発した高杉晋作と伊藤博文が兵を挙げ[功山寺挙兵]、内戦を制して藩の主導権を握ります。

そして、禁門の変の後に亡命していた実力者の桂小五郎(後の木戸孝允)も藩政に復帰し、長州藩は再び幕府に強腰で臨み始めました。

幕末の流れ⑥「犬猿の仲の薩長を坂本龍馬が仲介し、高まる倒幕の機運」

「八月十八日の政変」と「禁門の変」で2度敵対した薩摩藩と長州藩は、犬猿の仲と言える仇敵同士でした。

この両藩の仲を取り持ち「薩長同盟」成立に一役買ったのが、両藩の実力者である西郷と桂の双方から信頼を得ていた土佐の坂本龍馬です。

二大雄藩の薩長が水面下で手を結んだことで、時代は一気に倒幕へと傾くことになります。

一方長州征伐の結果に不満だった幕府は、後に第二次長州征伐を企てて強引に開戦しましたが、兵力で劣る長州側に惨敗を喫しました。

将軍家茂の急逝を理由に休戦にこぎつけたものの、幕府の権威はこの敗戦で地に堕ちてしまいました。

そこで、この難局打開への期待を背に、「家康の再来」と英名を称えられた徳川慶喜が第15代将軍に就任。幕末史はクライマックスへと突入します。

幕末の流れ⑦「慶喜捨て身の大博打!大政奉還も実らず徳川幕府は閉幕」

薩長がイギリスの支援を受けて倒幕準備を進める一方、新将軍の慶喜はフランスからの援助で軍制改革を進めながらも、内乱の回避を模索していました。

そんな慶喜に土佐藩前藩主の山内容堂が「自ら政権を返上してはいかが?」と提案。慶喜はその提案を受け入れ、京都の二条城で大政奉還を諸藩に宣言しました。

朝廷は行政能力がないため、いずれ自分に主導権が回ってくるだろうと読んだ慶喜の、捨て身の大博打でした。

しかし、大政奉還によって倒幕の名分が失われた上に、新体制が慶喜主導になる事態を恐れた倒幕派は、公家の岩倉具視を中心に徳川抜きの新体制を打ち立てるクーデターを計画。

薩摩・土佐・安芸・尾張・越前の5藩と連携して「王政復古の大号令」を発し、幕府の廃止と新体制樹立を宣言したのです。

こうして約260年続いた徳川幕府の治世は幕を閉じました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。わずか15年の間に様々な人間ドラマが凝縮されているのが、幕末史の魅力です。

坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛、新撰組など心引かれる題材も数多くあるので、この記事をきっかけに少しでも深掘りして頂けると幸いです。



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