幸運を呼ぶ福の神として、大阪人に古くから愛されてきた「ビリケンさん」をご存知でしょうか。
今回の記事では、商売繁盛から縁結び、合格祈願、必勝祈願、家内安全まで、庶民の様々な願いを叶えてくれると言われるビリケンさんについてご紹介します。
1.大阪のシンボル通天閣「ビリケンさん」とは?
大阪を代表するディープタウン新世界のシンボルであり、国の登録有形文化財にも指定された「通天閣」。
その5階にある展望台で、観光客を真っ先に出迎えてくれるのが幸運の神様ビリケン像、通称「ビリケンさん」です。
怒っているのか笑っているのか分からない愛嬌のある表情と、足を投げ出して座っているふてぶてしさが特徴のビリケンさん。
見た目の印象から「妖怪?」と思っている人も多いようですが、台座に「THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE(万事あるがままの神)」と書かれている通り、実はあらゆる願いを叶える霊験あらたかな全知全能の神様なのです。
足の裏を撫でるとご利益があると言われているため、連日多くの人が、わざわざ足の裏を撫でるために通天閣を訪れています。
また、一般の商店や民家に祀られることも多く、大阪では身近な福の神として庶民の暮らしを見守っています。
2.実はアメリカ生まれ!ビリケンさんの由来について
大阪の福の神として根付いているビリケン像ですが、元々はアメリカの女流美術家フローレンス・プリッツが、「夢の中で見た神様」をモデルとして1907年頃に作った作品です。
プリッツ自身が「自分の前世は日本人だったに違いない」と語り、和服を着た写真も残っている程の親日家なので、日本人が親近感を覚えるビリケン像のルックスも、そんな彼女の想いが反映されたのかも知れません。
後にシカゴの企業ビリケンカンパニーが像などを制作・販売し、「幸福の神様」として全世界に知れ渡るようになりました。
日本伝来は1909年頃で、花柳界を中心に縁起物として流行。そして1912年に通天閣と同時開業した遊園地に「ビリケン堂」が作られ、初めて新世界にお目見えしました。
その後、像が行方不明になったり、通天閣が火災に遭うなど紆余曲折はありましたが、1979年に2代目ビリケンさんが通天閣で復活。30年以上にわたって通天閣名物として愛されました。