日本の埋蔵金伝説を巡る!実際に発見された物、未発見の物まで

埋蔵金伝説

2.日本にはまだまだある!未発見の埋蔵金伝説

未発見の埋蔵金伝説①「徳川埋蔵金」

埋蔵金と聞いて、真っ先に徳川埋蔵金を思い浮かべる人は多いでしょう。

「幕末の江戸城明け渡しの際、鑑定奉行だった小栗忠順が幕府再興の資金として、自身の故郷である赤城山の山中に隠した」説が最も有名で、隠された埋蔵金は噂によれば360〜400万両です。

現在の価値に換算すると200兆円にもなると言われています。

なお埋蔵地は赤城山麓説が最有力ですが、旧三国街道(現・国道17号)や旧沼田街道(同国道120号、国道401号)沿いの村々にも、幕末に大量の物資が運ばれたとの目撃談が残っており、複数箇所に分散して埋蔵された可能性もあるとのことです。

未発見の埋蔵金伝説②「結城家の黄金」

埋蔵金マニアの間では徳川埋蔵金に負けずとも劣らない人気案件。結城家の初代朝光(ともみつ)が奥州征伐の功として源頼朝から下された恩賞が、旧結城領(茨城県結城市から栃木県下野市にかけて)のどこかに埋蔵されたと伝わっています。

結城家の重臣が書き残した古文書によると、約8キロの金の延べ棒が約25000本、7キロ弱のものが25000本、30キロの砂金が入った樽が108個。

黄金の総重量は約380トンにもなると言われ、現代の時価に換算すると約1兆8千億円に相当します。

未発見の埋蔵金伝説③「武田信玄の軍用金」

戦国最強と言われた武田信玄の支配地域には、黒川金山・梅ヶ島金山など多くの金山があり、大量の金が産出されていました。そのため多くの埋蔵金伝説が残されています。

金の一部がどこかに埋蔵されているという噂は当時から盛んで、長年に渡り多くの人が探索を続けています。

一説によるとその中身は甲州金1千枚、現代の時価に換算すると50億円に相当すると言われています。

未発見の埋蔵金伝説④「尾張徳川家の駿府御譲金」

1615年の大坂夏の陣に勝利した徳川家康が、大坂城に貯えられていた豊臣家の金銀を手に入れ、尾張、紀伊、水戸の御三家に配分したのが「駿府御譲金」です。

そのうち尾張家への御譲金が行方不明になっており、多くの人が探索を続けています。

配分された当時の内訳は大判3200枚、小判21000両、銀塊約7700貫とされており、現代の時価に換算すると150億円以上に相当するとのことです。

3.まとめ

いかがでしたでしょうか。信憑性が高い日本の埋蔵金伝説は、他にも「明智光秀の護法救民の宝」「毛利家の埋蔵銀」「旧日本軍の隠匿財宝」などいくつかあるようです。

ちなみに幸運にも埋蔵金を発見した場合は、遺失物法の適用を受けることになります。

発見者は発見から7日以内に警察に届け出る必要があり、それをしないまま懐に収めてしまうと遺失物等横領の罪に問われることになりますので、くれぐれもご注意下さい。



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