カステラは、15世紀から16世紀にかけて日本を訪れた、ポルトガルの貿易商人やキリスト教の宣教師によって伝えられたと言われています。
そこで、今回の記事ではカステラという名前の由来や歴史など、長崎を中心に国内に広がったカステラのルーツを追いかけてみましょう。
1.カステラの歴史を探ろう!名前の由来はどこから来たのか
そもそもカステラという名前はどこからきたのでしょうか。その由来を探ってみます。
カステラの名前の由来①「カスティーラ王国説」
カスティーラ王国とは、1035年から1715年までイベリア半島中央部(現スペイン)で栄えた王国でした。そこで生まれたお菓子がカステラという名前の由来だとする説です。
日本を訪れていたポルトガル人が、「このお菓子はなんと言うのか」と問う日本人に対し、「カステラ王国のお菓子だ」(ボロ・デ・カステラ)と答えたそうです。
それを聞いた日本人が、「このお菓子はカステラと言うのですな」と勘違いして、カステラと言う名前が広がったというものです。
カステラの名前の由来②「カスティーリョ(スペイン語の城)説」
もう一つの説は、スペインでお菓子を作るときにメレンゲをしっかりとあわ立て「お城のように高くなれ」と掛け声をかけたそうです。
お城のことをスペイン語で「カスティーリョ」と言い、その言葉が耳に残ってカステラと言うようになったというものです。
2.カステラ発祥の地とは?
それでは、カステラと呼ばれるお菓子のルーツはどんなものだったのでしょうか。
カステラ発祥の説①「ポルトガルのパン・デ・ロー」
ポルトガルの各地で「パン・デ・ロー」と呼ばれるふっくらとした焼き菓子が盛んに作られていました。これが日本のカステラの原型ではないかとされています。
カステラ発祥の説②「スペインのビスコチョ」
もう一つはスペインで船に乗せる食料の乾パンとして作られていた「ビスコチョ」が原型だとするものです。当時はスペイン海軍の保存食として用いられてきました。
3.いつ誰が日本へ持ち込んだ!?カステラの伝来とは
カステラの原型となったお菓子は、いつ誰が日本へ持ち込んだのでしょうか。1494年にイベリア半島はポルトガル王国とカスティーラ王国の二つが領土を分け合っていました。
ポルトガルは喜望峰を回って東から、カスティーラ(スペイン)王国は南米ホーン岬を回って西から日本にやってきました。
これらの国の貿易商人やキリスト教の宣教師たちによってカステラは日本にもたらされたと言われています。
カステラの伝来①「長崎初上陸説」
イベリア半島を出発した一行は、西から東から地球を半周して種子島、鹿児島、平戸を経て長崎へと到着しました。
1570年には長崎が当時唯一の外国貿易港として開港され、翌年には初のポルトガル船が入港しています。つまり、当時は長崎が唯一外国に開かれた港だったのです。
カステラの伝来②「平戸初上陸説」
実は地元でまことしやかにささやかれている噂がありました。カステラは長崎より先に平戸に伝えられ、平戸で今も作られている「カスドース」がカステラの完成形だと言うのです。
「カスドース」とは、簡単に言えばカステラのフレンチトーストのようなもので、長崎のカステラはカスドースの未完成品だそうです。
残念ながら確証は全くありませんが、平戸にポルトガル船が初入港したのが1543年、長崎への初入港が1571年なので平戸初上陸説の可能性は否定できません。
4.一度は食べて欲しい!長崎カステラの名店を紹介
最初に伝わったカステラの製法は、小麦粉・砂糖・卵を全て同量に配合して混ぜ合わせ、蒸し焼き鍋で焼くというものでした。
その後、江戸時代になって材料や配合が変化し、鍋の性能も良くなり現在の形が出来上がりました。
カステラの名店①「福砂屋」
1624年(寛永元年)創業の福砂屋は「カステラ本家」と言う登録商標を持つ老舗です。創業以来、手作りにこだわって添加物を一切加えないことから、賞味期限が9日前後と短いのです。
特徴はふんわりとした触覚を生み出す、「別立法」と呼ばれる卵の泡立て方法。
黄身と白身を別々に泡立ててから混ぜると言うもので、泡立ったメレンゲを見て「お城(カスティーリョ)のように高くなれ」と叫んだかどうかは定かではありません。