藤原宮跡を120%楽しむために、知っておきたい歴史と見どころ

藤原宮跡

都が飛鳥から移った後、平城京(奈良)に移るまでの16年間、奈良盆地の南、今の橿原市と明日香村にまたがる地域に都がありました。その都を藤原京と言います。

国らしい国としての成立を国の内外に示すために大規模な都を作るのは、国内では初めての試みでした。その大きさは古代日本では最大規模でした。

藤原宮跡は、古代史ファンだけでなく、訪れた人すべてをひきつけるものがあります。それは、その当時の天皇をひきつけたものと同じものかもしれません。

1.まずは知っておくべき!藤原京跡の知識について

1-1 藤原京が置かれたところとは?

歴代の天皇が宮を置き、長らく日本の政治の中心であった飛鳥の西北に、藤原京はあります。今なら、車で10分くらいの距離です。

そして、古くから多くの歌人に愛された大和三山(畝傍山、耳成山、香久山)に囲まれた、穏やかな美しさの中心に藤原京は位置しています。

1-2 藤原宮は唐の都をモデルにして作られた

南北4.8㎞、東西5.2㎞の大きさを誇り、南北、東西の道が碁盤の目のように交差し、左右対称である、唐の都、長安をモデルにした都でした。

藤原京の中心、藤原宮では、初めて屋根に瓦がふかれ、その数は200万枚にものぼりました。

1-3 藤原宮は、たった16年間だけの都

長い時間をかけて、国をあげて造った藤原京でしたが、16年で国の首都としての役割を終えます。

いろんな理由があるのですが、一つには川が遠く、水が不足する立地が問題になりました。

2.藤原京の歴史を知ってより旅を楽しもう

2-1 藤原京のあった時代って?

歴史の時間に、「大宝律令(たいひょうりつりょう)」と習ったことを覚えていますでしょうか。日本の国家としての基本法のことです。

それが制定されたのが、まさに藤原京の時代でした。都の整備とともに、国の基礎をしっかり作った時期だったのです。

2-2 建設には28年間も

天武天皇によって、676年、藤原京の建設が命じられました。

天武天皇の死後、建設は一時中断しましたが、夫の遺志を、皇后であった持統天皇が後を引き継ぎ、704年に完成しました。

(途中、完成を待たずに、藤原京に移ってきています)

3.藤原宮跡の見どころポイントを紹介

3-1 再現された宮殿門の柱

藤原宮跡といっても1300年前の都ですから、昔の建造物が残っているわけではありません。

風が吹き渡る広大な土地に、突如現れる赤い柱の列。天皇が仕事を行った大極殿の南門と、役人たちの仕事場だった朝堂院の東西南の門が復元されました。

柱の間に立って、1300年前に思いをはせてください。

3-2 橿原市藤原京資料室

藤原宮跡大極殿跡西側に、橿原市藤原京資料室があります。藤原京関連の資料が展示されていますが、ここの一番の見どころは、藤原京の1000分の1のジオラマです。

細部まで丁寧に作られていて、イメージが膨らみます。藤原京の位置関係がよくわかります。展望室もあるので、実際の藤原宮跡を高いところから望むことができます。



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