千葉県北西部を代表する観光地!船橋大神宮のルーツを知ろう

船橋大神宮

千葉県の北西部にある観光地「船橋大神宮」。古くから地元の方に愛されている神社なので、近くに住む方であれば知っている方も多いのではないでしょうか。

今回の記事では、そんな船橋大神宮について紹介しています。ぜひ一度訪れてみてください。

1.船橋大神宮ってどんな場所?わかりやすく紹介

船橋大神宮は千葉県内有数の初詣スポット

初詣スポットとして、千葉県内でも指折りの参拝者数を誇る「船橋大神宮」。

正月に訪れる人の数はおよそ6万人と推定され、年間での総数は約15万人とも18万人ともいわれます。

船橋大神宮の名前は通称

古くから朝廷や将軍家をはじめ、地元の漁師や農家などを中心に信仰されてきた由緒ある神社ですが、広く知られている「船橋大神宮」の名は通称であり、正式には「意富比(おおひ)神社」といいます。

諸説ある「おおひ」の由来

「意富比(おおひ)」という語源には諸説あるようで、古代から崇拝されてきた食物神に関連して「大火(大炊 )」とする説や、高台にある社殿が日没時になると太陽の光を受けたことから「夕日」とする説もあります。

中でも、いにしえの太陽神「大日神」への信仰を由来とする説が有力とか。

現在の主祭神も、太陽が神格化したと考えられる「天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)」であることから、この2神が中世に同化したとする説が正しいのかもしれません。

起源は古代の英雄・日本武尊にあり

社伝によると、船橋大神宮の始まりは景行天皇40年(西暦110年)。同天皇の息子である歴史上の伝説的ヒーロー・日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東国平定の際にこの地を訪ねたことにさかのぼります。

土地の人々が日照りに苦しんでいることを知った日本武尊が、天照皇大御神に祈ったところ、恵みの雨が降り出したとか・・・船橋大神宮は、そんな素敵な伝説をルーツとしているのです。

平安時代の歴史書にも登場

やがて平安時代に入ると、醍醐(だいご)天皇の命令でまとめられた法令集『延喜式(えんぎしき)』の中に「葛餝郡(かつしかぐん)意富比神社」という名前で登場します。

また、天下統一を果たした大将軍・徳川家康は、土地を寄付したり、本殿などを造営したりして手厚く保護しました。

慶応4年(西暦1868年)、明治維新(戊辰戦争)に伴う戦火で社殿は焼け、保管されていた貴重な古文書なども失われてしまいましたが、間もなく再建。

そして近世では、明治天皇、大正天皇、昭和天皇と、歴代の天皇も参拝に訪れたと聞きます。

2.船橋大神宮に訪れるなら、ここに注目してみよう

最近ではパワースポットとして人気も

開発が進むJR「船橋駅」周辺の賑やかさとは対照的に、緑に囲まれた境内は静寂に包まれ、地元の人々にとって憩いの場になっています。

また、最近ではパワースポットとしても注目され、女性の姿を多く見かけるようになりました。

2代安藤広重の浮世絵を用いた御朱印帳が評判

彼女たちのお目当ての一つは、御朱印のようです。正式名である意富比神社の文字が墨で書かれていて、初穂料は300円。

また、オリジナルの御朱印帳は1,200円です。こちらは紺色の布製でできていて、2代安藤広重(歌川広重)が「諸国名所百景」の中で描いた船橋大神宮の姿が、鮮やかに織り込まれています。

表面にデザインされているのは、境内にある建築物の中で最もシンボリックな「灯明台(とうみょうだい)」。

裏面には、笠をかぶった江戸時代の参拝者たちの様子が生き生きと描かれ、彼らや大きな鳥居の向こうに、夕景と思われる美しい東京湾(江戸湾)も見られます。

どちらも社務所で、9時から17時までいただくことができます。

境内で一番の見どころは和洋折衷の「灯明台」

そんな、御朱印帳の表面に描かれている灯明台は、境内東側にある丘の上に位置しています。

明治13年(西暦1880年)、地元で漁業に携わる有志らによって建てられたもので、政府公認の灯台として、明治28年(西暦1895年)にその明かりを消すまで、漁師たちの小舟や東京湾を往来するさまざまな船の目印になってきました。

年に一度「灯明台」に明かりが灯る夜

灯明台は千葉県の有形民俗文化財に指定されていて、木造瓦葺きの3階建てです。

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