行基ってどんな人?行基に関する豆知識や気になる疑問を紹介!

行基

近鉄奈良駅前に、行基像を中心とした噴水があり、行基広場と呼ばれているのをご存知でしょうか。その場所は、地元民だけでなく、観光客の絶好の待ち合わせ場所でありランドマークです。

今回の記事では、奈良にはたくさんの偉人、有名人がいるのになぜ行基なのか。そもそも行基とはどういう人物なのか。行基について詳しく紹介しましょう。

1.行基に関する豆知識、気になる疑問を徹底紹介

1-1 行基を知る前にチェック!奈良にとっての大仏とは?

752年に、奈良の大仏は完成しました。その後、2度の戦火で焼け落ちるなどしますが、その度に復興されてきました。

奈良にとって大仏とは、心の拠り所であるだけでなく、観光資源(昔から)であり続けています。大仏商法って言葉があるぐらいです。

1-2 大仏ができたのは、聖武天皇と行基のおかげ?

聖武天皇が大仏を作ろうと詔(みことのり)を743年に出されました。

その呼びかけに応えた行基と行基を慕う民の力によって、丸9年の歳月、のべ260万人を動員して奈良の大仏は、752年に完成しました。

1-3 行基は、どこ出身?

行基は、天智天皇が大津宮で即位した668年、河内国(現在の大阪府堺市)で、父、高志才智(こしのさいち)と、母、蜂田古爾比売(はちだのこにひめ)の長子として生まれました。

1-4 行基は、15歳で出家

行基は、15歳の時に、大官大寺で出家しました。当時の律令制のもとでは、一般人は容易に僧尼になることができないのが原則でした。たとえ、出家したとしても、自由な行動は認められていませんでした。

1-5 行基と名乗ったのは24歳

その後、24歳で受戒し、飛鳥寺、薬師寺で法相宗の教学を学び、名を行基と改めました。ここに、その後活躍し、歴史に名を残す「行基」という名前が登場したのです。

行基と名を改めた当時の彼は、その後の自分自身の行く末を知っていたのでしょうか。想像していたでしょうか。

1-6 行基の先生は、遣唐使の一員、道昭(どうしょう)

行基は飛鳥寺で、道昭から教えを受けたとされていますが、道昭は遣唐使の一員として唐に渡っています。

道昭が伝道や社会事業のために各地を巡ったその間、弟子の行基はともに巡ったと思われます。

井戸を掘り、渡しや港に船を備え、橋を架けるというその後の行基の事業に大きな影響を与えています。

1-7 道昭の師匠は、「西遊記」の三蔵法師

遣唐使の一員として唐に渡った道昭の師匠は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)と言われています。玄奘三蔵といえば、あの「西遊記」の三蔵法師のことです。

こんなところに、あの三蔵法師が出てくるなんてビックリです。

1-8 民衆に慕われる行基

道昭が亡くなった年に、大宝律令が実施され、支配体制が確立し、農民たちから奪い苦しめます。その締め付けを嫌った農民たちが各地に溢れました。

そんな時代に、行基は積極的に民間伝道を始めました。行基の説法を聞いた民衆は、自ら喜んで、行基の社会事業に労力を提供しました。

そのころ、行基は「行基菩薩」と民衆に呼ばれていました。苦しむ民衆にとって、行基はまさに救済者だったのです。

1-9 行基は土木技術者?

行基は、抑圧され、貧しさにあえぐ民衆のために、井戸を掘り、渡しや港を整備し、橋を架けました。

歴史書「続日本紀」には、「自ら弟子を率いて、様々な要害のところに橋を造り、堤を築いた」とあり、行基自身が土木技術を持っていたことを示すような書きぶりです。

きっと、道昭から学んだんでしょう。

行基が新しく開いたり修復したりしたものは、歴史書によって若干の差がありますが、主なものに貯水池3、橋3、播磨から摂津にかけての5つの港などがわかっています。

1-10 温泉にまつわる行基のエピソード

前項で書いた社会事業のほかに、行基はたくさんの温泉も開いたと言われています。こんなエピソードが伝わっています。

行基