高知の観光名所「はりまや橋」本当にがっかりなところなの?

はりまや橋

高知の有名観光地のひとつである「はりまや橋」。誰もが名前くらいは聞いたことがあるでしょう。しかも日本三大がっかり観光地でも有名です。

あまり名誉なことではありませんが、行ってみると“がっかり”という場所です。見た目の印象は大きいですが、そこに秘められた歴史を探ると、また違った見方ができるかもしれません。

今回の記事では、そんなはりまや橋について紹介しています。ぜひ参考にしてください。

1.高知の観光名所「はりまや橋」はいつ、だれが作ったのか?

だれが作ったのか?

このはりまや橋、そもそも誰が作ったのか。ということがあまり知られていません。

はっきりとした建立年は残念ながらわかりませんが1600年代といわれています。建立した人物は播磨屋崇徳という人物です。

高知の現在のはりまや橋のある地域で、豪商として有名な人物でした。

戦国時代末期、播磨の国の出。長宗我部元親の命に功績を認められ土佐に移り住み、江戸時代に活躍しました。

建立した目的は意外と単純だが、実はスゴイ

現在はりまや橋がある周辺は、山内家につかえる身分の高い上士や山内家御用商家など、優遇された身分の者の居住区でした。

高知市中心街付近はもともと水路が発達しており、当時は運搬手段として船を多用していた時代でした。そのため商家の出入り口には堀と接していました。

特に播磨屋の取引商家が堀の向かい側にあり、往来が不便だという理由だけで個人財産を投じてはりまや橋を建立したといわれ、豊かな財力を誇示していたようです。

2.はりまや橋の歴史と秘め事について

はりまや橋というと、よさこい節に出てくる一節

「~はりまや橋で、ぼうさん かんざし 買うをみた~」

で認知されているのだと思いますが、なぜこれが有名なのか、と感じる人が多いのではないでしょうか。

よさこい節・よさこい祭りとは?

よさこい節じたいは超有名かというと、徐々に有名になってきたということが正しいといえるでしょう。

ちなみに「よさこい」とは高知の方言で、「よさ」=夜 「こい(来い)」=いらっしゃい、 よるにいらっしゃい、という意味です。

今はいろいろなよさこい祭りの原型となっている「よさこい祭り」ですが、戦後復興の象徴として昭和29年に始まりました。

その後昭和34年、ペギー葉山さんが歌って大ヒットした、「南国土佐を後にして」をきっかけに非常に有名になりました。

そして、北海道でよさこいソーラン祭りが平成4年始まり、一気によさこい祭りの認知度が拡大していったと思われます。

今では、踊り子18000人余り、200チームが参加して、観客数も100万人を超えるお祭りとなっています。個性豊かなチームの競演は、高知市内にある各演舞場、競演場で楽しめます。

毎年8月9日~8月12日まで開催され、国際色も豊かになってきているので、これからも個性豊かな変貌を遂げていく、「成長する」お祭りではないかと思います。

はりまや橋とよさこい節の秘め事とは

よさこい節の一節に、「土佐の高知のはりまや橋で ぼうさん かんざし 買うをみた」とあります。

もともとはほかの地域にあった「節」が存在しており、江戸時代末期におきた純真お馬の駆け落ち事件を歌詞に入れて形となって現在に至っています。

「ぼうさん」とは「お坊さん」=僧のことです。江戸時代、僧侶は基本的に恋愛禁止でした。が、町娘に恋をしたお坊さんは、はりまや橋でかんざしを買っているところを目撃されたというのが事の始まり。



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