東京旅行をするのであれば、一度は皇居を観光しておきたいと思っている方も多いのではないでしょうか。
ですが、皇居に行ったのであれば、何を観光すればよいのか、皇居の中には何があるのか、気になりますよね。
今回の記事では、皇居内を観光する際にぜひ見ておきたい観光スポットを効率良く周れるコースでお伝えします。
1.おすすめコースはこれだ!皇居の観光はこの順番で
START
①大手門(メトロ大手町駅、東京駅が最寄駅)
↓
②3つの番所(同心番所、百人番所、大番所)
↓
③富士見櫓
↓
④本丸広場
↓
⑤天守台
↓
⑥諏訪の茶屋
↓
⑦二の丸庭園
↓
⑧二重橋
↓
⑨桜田門
GOAL
皇居観光のスタートは大手門がベスト
入口は他にもありますが、ここ大手門が皇居が江戸城と呼ばれていた時代の正門だからです。
明治に皇室が東京に移り、こちらに住むようになるまでは、江戸城は、江戸幕府の将軍が住む家であり、政治の場でした。
せっかくですから、江戸城正門からなかに入り、将軍に謁見する大名の気分で観光してみましょう。
東京駅丸の内北口から5分ほど歩くと皇居入口の大手門へとたどり着きます。
地下鉄メトロの場合は、大手町駅が最寄り駅です。
2.各コースの見どころを紹介!皇居の観光はこれで大満足
皇居観光スポット①「大手門は江戸城の正門」

大手門は江戸城の正門として1607年にできました。担当したのは、城づくりの名人と言われた藤堂高虎という武将です。
その後、火事で焼失してしまいますが、伊達政宗によって再建されています。将軍や大名たちが江戸城を出入りする際には、この大手門をくぐっていました。
徳川将軍家のお城の正門ですので、当時はとても厳重に警備されていました。ここでぜひ見ておきたいのは、壁にいくつもある穴。
敵がきたときに、門の内側から銃で撃てるようになっていたのです。門を抜けたら、入場券を受け取ります。
この入場券は帰るときに返すことになるので無くさずに持っていましょう。
皇居観光スポット②「3つの番所でセキュリティチェック」
入場券を受け取ると、「番所」と呼ばれる建物が三つ続きます。将軍のいる江戸城の奥まで行くには、厳重なチェック体制をパスしなければいけません。
そうしたセキュリティの役割を果たしていたのが、「番所」と呼ばれるお城の警備を担当する人たちが詰めていた建物です。大手門から3つの番所が続きます。
同心番所
同心番所では「同心」と呼ばれる人たちが交代で番をしていました。
ほとんどの大名はここでカゴから降りて、そのあとは歩いて城内に向かっていました。
百人番所
同心番所の先には百人番所があります。大手門から本丸に入るときの最大の検問所でした。当時は百人組という100人以上の部隊が4組あり、交代で警備にあたっていました。
ここまで来ると、石垣が先ほどよりも高くなっているのがわかります。さらに石垣にそって左に歩くと、大番所が見えてきます。
大番所

大番所は警備をする上で最後の検問所となるので、他の番所よりも身分の高い人が担当していました。建物の後ろには石段があり、敵や怪しい人が入ってきたときに射撃できるようになっています。
大番所の目の前にある門が本丸への入り口です。ですが、ここではあえて門に向かわず、左に進んでみましょう。
皇居観光スポット③「江戸城の名残。富士見櫓」

元江戸城である皇居には、現在天守閣がありません。火事で焼けてしまったからです。
そんな皇居ですが、お城らしい建物が唯一残っているのが、こちらの富士見櫓。三重の建物で高さは16メートルあります。
江戸時代の将軍は、この上から富士山や東京湾、両国の花火を眺めていたのだとか。
この建物の特徴は、どこから見ても同じような形で美しく見えること。皇居というと、二重橋とその奥にある天守のような建物が写った写真を見かけるかと思いますが、その建物がこの富士見櫓です。
ここから本丸跡に向かいます。
皇居観光スポット④「本物の大奥の舞台。本丸広場」

皇居の中心は広場になっています。現在ではすっかりのどかな公園の雰囲気ですが、ここはかつて将軍が住んでいた本丸御殿の跡地です。
本丸御殿の手前側は、いわゆるお役所。役人が仕事をしたり、将軍が謁見していた場所でした。
真ん中あたり将軍の家にあたります。歴代の将軍が食事し、お風呂に入り、寝ていたところです。
そして、その先にドラマでもおなじみの大奥がありました。将軍の奥方たちや子供たち、そして大奥で働いていた女中たちが住んでいました。
15人いた江戸幕府の将軍のうち、最も多くの妻がいたのは11代将軍の徳川家斉で40人もいたそうです。
40人の奥方との間に産んだ子供の数は合計53人。現代では考えられないですね。
皇居観光スポット⑤「20階建てビル並。巨大天守があった天守台」

本丸広場をすすむと、石垣が積まれた天守台があります。天守台とは、つまり天守の土台部分のことです。
江戸時代初期には、天守台の上には天守閣が建っていました。天守閣は何度か増築され、1637年には高さ58mもあったそうです。
これはなんと20階建てビルに匹敵する高さ。当然、日本の歴史上もっとも大きな天守閣です。
しかし、1657年に起きた明暦の大火と呼ばれる大火事で全焼してしまい、現在は存在しません。当時、幕府は天守の再建も考えたようですが、結局再建されることはありませんでした。
1つは経済的な理由、もう1つは国内に戦争がなくなったことが理由です。
天守は本来、戦争で使用するための建物。江戸時代になり、戦争がなくなったことでその必要もなくなったのです。
そのため当時の幕府は天守を再建するより、街の復興を優先しました。そして、天守は作られず、天守台のみ再建されることになり、1658年に現在の天守台が作られています。