5分で理解できる!奈良の名園『依水園』の簡単見どころまとめ

依水園

奈良にある数ある観光地の中で、東大寺に並んで、外国人観光客に人気があるスポットが、名勝依水園です。

なぜ、依水園がそんなに人気が高いのがご存知でしょうか?

アメリカの日本庭園専門雑誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌が選ぶ日本庭園ランキングで堂々の7位にランクインしているからです。

依水園とその魅力をわかりやすくまとめてみました。

1.奈良の名園『依水園』がある場所とは?

依水園は、奈良観光の中心、東大寺南大門の真西にあります。依水園は、その地を流れる吉城川の流れをうまく取り入れて、庭をつくっています。

依水園のある場所は、奈良市水門町です。その地名のもととなった水門こそ今では見られませんが、かつて吉城川にはいくつもの水門が設けられ、水車の原動力となっていました。

昔は、依水園の辺りで、川の水と水車を、製粉業や晒し業に利用してきました。

依水園の池の周りには、臼(うす)に使われていた石が飛び石として使われ、園内には水車小屋もあり、当時をイメージすることができます。

2.依水園は誰がつくったの?

依水園は、前園、後園の二つに大きく分けられます。それぞれは、つくられた時代が違います。

前園は誰がつくった?

前園は、江戸時代前期に奈良晒(ならざらし)を扱う御用商人だった清須美道清が吉城川のそばでお茶をたのしむため、別邸として三秀亭を他の場所に移して建てたのがはじまりです。

奈良晒ってそもそも何かご存知でしょうか?

奈良晒とは、武士の裃(かみしも)などに使う高級麻織物のことで、先ほども書きましたように吉城川の川の水を利用してつくっていました。

奈良晒は、室町時代からつくられていましたが、徳川幕府の御用達品となってその名声が広まり、御用商人であった清須美家には莫大なお金が集まりました。

後園は誰がつくった?

後園は明治時代に、呉服商でならまち7人衆といわれた実業家、関藤次郎が吉城川の水を引いて、茶の湯と詩歌の会をたのしむために築山式の池泉回遊式庭園をつくりました。

庭をデザインしたのは、茶道裏千家の十二世又妙斎宗室です。

つまり、依水園は、江戸時代と明治時代に奈良の地で財を成した商人、実業家が贅沢をするためにつくった庭園ということになります。

3.依水園をなぜつくったの?

依水園の東隣に同じ日本庭園の吉城園があります。

江戸時代に清須美道清が依水園の前園をつくるまで、依水園前園と吉城園は、興福寺のわき寺、摩尼寿院(まにじゅいん)の庭園だったと言われています。

また、奈良は、現在行われている茶道の原形が起こった地とされています。

摩尼寿院のあたりは、この茶道の発展を育んだ地であり、依水園、吉城園は、茶道発祥に深く関わっています。



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