刀剣乱舞ファンは知って欲しい!最高傑作、名刀中の名刀を紹介

日本刀 名刀

元は「五阿弥切」という名でしたが、刀身に三日月形の波紋が数多く見られたことから、後世の人がこの雅な名で呼ぶようになったとのことです。

足利将軍家の秘蔵の名刀として受け継がれた後で秀吉の手に渡り、秀吉の正室高台院(ねね)から徳川秀忠に贈られ、以後徳川家の所蔵となりました。

そして第二次世界大戦後に個人所蔵となりましたが、1992年に当時の所蔵者から東京国立博物館に寄贈されました。

日本の名刀③「大典太(おおでんた)」

平安時代に三池典太光世(みいけでんたみつよ)によって作られた国宝です。

元々は足利将軍家伝来の家宝でしたが、秀吉を経て加賀藩・前田家の所蔵となり、前田家の三種の神器として大切に受け継がれてきました。

現在も、加賀藩主家伝来の文化遺産の保全を行なっている前田育徳会が所蔵しています。

凄まじい切れ味を持つことで知られ、大典太を保管していた蔵に止まった雀まで切ってしまうため、蔵までが「鳥止まらずの蔵」と呼ばれたとの伝説が残っています。

日本の名刀④「鬼丸(おにまる)」

鎌倉時代の刀工・粟田口国綱の作品です。

五代執権・北条泰時が、毎夜夢に現れる小鬼に悩まされた頃、「この刀の錆を落とせば小鬼を退治できる」という夢のお告げに従い錆を落とすと、以後小鬼の夢に苦しまなくなったため、鬼丸と呼ばれるようになりました。

その後北条家から新田義貞、足利家、豊臣家を経て徳川家の手に渡り、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)に皇太子が誕生した折に徳川家から鬼丸が献上されましたが、まもなく皇太子が急逝したため、「不吉な刀」として戻されています。

その後明治天皇の元に取り寄せられ、御物として皇室の所蔵となりました。

日本の名刀⑤「数珠丸(じゅずまる)」

鎌倉時代の刀工、青江恒次(あおえつねつぐ)の作品です。日蓮宗の宗祖・日蓮上人が信者から寄進され、「破邪顕正の剣」として柄に数珠を掛けて所持したため、数珠丸と呼ばれるようになったと言われています。

没後は遺品と一緒に身延山久遠寺に保管されていましたが、享保の頃に消失し、1920年に再発見されました。1950年に重要文化財に指定され、現在は兵庫県尼崎市の本興寺が所蔵しています。

4.まとめ

いかがでしたでしょうか。

ここで取り上げた以外にも、織田信長が所有していた名刀で、押し当てるだけで斬れたことがその名の由来となった「圧切長谷部(へしきりはせべ)」、徳川家の縁者が何人も命を落としたため妖刀と言われた「村正(むらまさ)」など、様々な名刀が今の世に伝えられています。

昨今の刀剣ブームのおかげもあって、名刀の展示イベントは各地で増えてきました。興味を持たれた方はぜひ一度足を運んでみて下さい。

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