弘道館の見どころはココ!幕末に生きた水戸藩士はここで学んだ

弘道館

第九代藩主徳川斉昭が藩政改革の重要施策として開設された弘道館。水戸観光をする際には欠かせないの観光スポットの一つです。

記事では、そもそも弘道館とはどういう場所なのか、弘道館を訪れたらチェックしたい見どころを厳選して紹介しています。

1.弘道館ってそもそも何?観光前に知っておきたい事前知識

弘道館は、誰が建てたの?

徳川斉昭は、水戸藩の九代藩主。

そもそも藩というのがわかるでしょうか?

よく教科書で書かれている説明では、1万石以上の領地を与えられた大名の支配する領域とその支配機構のこと。

今でいうところ、藩=県というイメージです。

なぜ弘道館を建てたの?

それは遡ること徳川斉昭の時代。アメリカからあの有名な黒船が来航し、開国を迫られていました。あんなに大きな船が迫ってきたら本当にびっくりしますよね。

徳川斉昭は、他のアジアの国が植民地にされているのを知っていたので開国に反対!

けれども、あんなに凄い船を造れるのであれば、その知識や技術は取り入れるのは日本のためにもなるので賛成。と考えていたそう。

とにかく、このような出来事がきっかけでこれからの時代きっと目まぐるしいものになると思い、そんな時代を切り開くためには「人」が重要だと考えました。

だから、「人材育成を目的に弘道館を建てよう!」ということになったのです。徳川斉昭は幕末という激動の時代が訪れるのを見越していたのかもしれません。

弘道館は誰でも入学できたの?

弘道館は、現在の大学と同じようなもの。年に1回の入学試験があり、15歳から入ることができました。入学するのは、水戸藩の藩士(はんし)とその子供たちで、1000人以上の生徒がいたとされていました。

現在の大学と大きく違うことは、「卒業がない」ということです。卒業がない理由として、「人は一生学び続けるもの」それが斉昭の考え方だったのです。

さらに、学費が無料。お金がどうこうというよりは、優秀な人材を育てることを何よりも重要視していたのですね。

弘道館では何を教えられてたの?

弘道館では、大きく2つの分野が教えられていた。それは武術と学問。

武士は武術だけでなく、学問も必要だと考えていたのです。

学ぶ領域としては、中国の政治や歴史、天文学、数学、地理学、和歌、音楽、医学など、非常に幅広いものだったのです。

武術に関しては、剣術だけでなく、槍や柔術、兵法、鉄砲、大砲の射撃、馬術など、こちらも幅広く教えていたのです。

2.最高の観光をするために!弘道館の見どころチェック

水戸藩藩主、徳川斉昭によって建てられた教育機関であり、現在では総合大学にあたります。

そんな弘道館を訪れた時にチェックしたい見どころポイントをまとめています。

弘道館の見どころ①「諸役会所(尊攘の掛け軸のある部屋)」

弘道館に入るとまず最初に、「尊攘」と書かれた大きな掛け軸を見ることができます。

これは、弘道館を設立した徳川斉昭の命令で、設立した15年後の安政三年(1856年)にこの掛け軸が作られました。

「尊攘(そんじょう)」とは、「尊王(そんのう)攘夷(じょうい)」という言葉の略です。

尊王攘夷とは、どういう意味?

尊王は、天皇を敬うという意味です。

当時の日本のトップは徳川幕府(将軍)だが、それは天皇の代わりに政治を担っているだけであり、将軍より天皇を上に置く見方が普通でした。

攘夷とは、外国の敵を排斥(はいせき)しようという意味です。

この時期は、黒船が来航した時であり、開国を迫られていました。欧米列強が日本に入ってくることに賛成と反対で揺れ動いている時代だったのです。

徳川斉昭は、中国を始めとしたアジア諸国が植民地化されている現状を見て、開国に強い反対の立場を取っていたのです。

一方で、西洋の知識やノウハウを取り入れるのには積極的に考えました。

斉昭は当時、西洋式の兵器を日本で作れるようにしたり、軍艦の建造許可を幕府に求めたりなど、水戸藩や幕府を超えて、国を守るための様々な活動を行っていたのです。

この言葉は、たった15年のあいだに、周囲の環境が大きく様変わりしていった様子がうかがえます。

弘道館の見どころ②「武術の稽古をしていた対試場」

対試場では、10代の子供もいれば、30代、40代の武士も稽古に励んでいました。



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