弘道館の見どころはココ!幕末に生きた水戸藩士はここで学んだ

弘道館

竹でできた竹刀を片手に、コテや面、胴など身につける防具も後の世のものとほぼ変わらない道具で稽古してました。現代の剣道の道場と変わらぬ光景が繰り広げられていたのです。

弘道館では、剣術だけでなく、槍や柔術、兵法、鉄砲や大砲の射撃、馬術、水泳など、幅広く教えていました。

対試場を振り返って上の方を見ると、3文字の漢字が書かれた額を見ることができます。

「游於藝(げいにあそぶ)」と書かれている。

もともとは孔子の書いた論語(ろんご)からとってきたもので、「凝り固まらず自由に楽しみながら学ぶのが良い」という意味です。

「遊ぶ」とは実際に遊ぶという意味ではなく、幅広くいろいろな領域を学ぶことを意味しています。

弘道館の見どころ③「畳の文様」

弘道館にある畳の文様(もんよう)に注目してください。これは、「三つ葉葵(あおい)」の紋で、徳川家の家紋なのです。

水戸藩の藩主は、江戸の将軍家と同じく、徳川の姓を名乗っています。尾張、紀伊、そして水戸の三つの藩は徳川家の親戚であり、御三家と呼ばれていました。

徳川家康の次男、秀忠(ひでただ)が、2代将軍を継いだとき、九男、十男、十一男の三人が将軍家を補佐する家系として独立したものなのです。

将軍家が男子に恵まれず、直系が断絶した際にはこの三家から養子を迎えることになっていました。

弘道館の見どころ④「至善堂」

弘道館には、至善堂と呼ばれる部屋があります。

至善とは、斉昭が儒教の経典(きょうてん)からとって命名したものです。「人間は最も良い状態に達し、かつその状態を維持することを理想とすべきである」という意味がこめられています。

この部屋は藩主の休息所であり、また身分の高い男の子が学ぶ場でもあった。斉昭の息子であり、最後の将軍・徳川慶喜も、ここ至善堂で5歳から11歳まで英才教育を受けています。

そして徳川慶喜は大人になり、大政奉還という重大な決定をしました。大政奉還とは政権を幕府から天皇に返すこと。

何百年も続いていた徳川政権を終わらせただけでなく、武士の時代も終わりました。そして、全ての責任を背負ってこの部屋で謹慎生活を送ったのです。

徳川慶喜はなぜ、大政奉還という決断を下したのだろうか。ここに座り、庭を眺めながら、彼は何を考えていたのか。

それを考えると感慨深いものがあります。

弘道館の見どころ⑤「国老詰所(大日本史)」

弘道館には、有名な大日本史の実物があります。大日本史は、水戸黄門として有名な徳川光圀によって制作が開始され日本の歴史書です。

制作にかかった期間は、なんと260年であり、全部で402巻にも及ぶ大作です。

弘道館で教えられていた水戸学は、この大日本史の影響を受けているといわれています。斉昭が強烈な尊王攘夷の思考に至ったのもこの影響があったのでしょう。

3.弘道館の基本情報、アクセス方法について

開館時間と閉館時間

2月20日〜9月30日 09:00〜17:00

10月1日〜2月19日 09:00〜16:30

弘道館の住所

〒310-0011

茨城県水戸市三の丸1-6-29

水戸駅から歩いて約7分

最後に

いかがでしたでしょうか。

水戸にある弘道館について紹介いたしました。どの部分が見どころポイントなのかをしっかり事前に知っておくと、より楽しむことができます。

ぜひ参考にしてください。



弘道館