コッペパンの由来は?コッペパンが生まれてから現在に至るまで

コッペパン 由来

学校給食でおなじみ、素朴で懐かしい味のコッペパン。コッペパンは海外の発祥だと思っている人が多いかもしれませんが、実は日本独自のパンなのです。

でも、なぜコッペパンと呼ばれるようになったのか、正確には分かっていません。そこで、今回の記事では、コッペパンの由来について調べてみました。

コッペパンの由来は?コッペパンが生まれてから現在に至るまで

コッペパンの由来

江戸時代のパンは固かった

日本で最初にパンを焼いたのは、伊豆韮山の代官、江川太郎左衛門といわれています。

軍学者でもあった江川は、江戸幕府の依頼を受けて日本初のパン焼き窯を作り、戦時の携帯食にする目的で1942年4月12日に「兵糧パン」を焼きあげました。

全粒粉・砂糖・卵を使ったビスケットのような固いパンでした。明治時代、パンは「変わった食べ物」として余り普及していませんでした。

当時は冷蔵庫がなくて、生イースト(パン酵母)の保存が難しかったため、イーストを使わない固くて団子のような「鰹節パン」と俗称されるものが一般的だったからです。

コッペパンは日本生まれ

日本の製パン技術の普及に貢献したのは田辺玄平です。1901年(明治34年)に渡米して、アメリカのパン製造技術を学んだ田辺は、1913年(大正2年)に東京の下谷黒門町に食パン工場「丸十ぱん店」を創業しました。

そして、私財を投入して研究を重ね、ドライイーストを完成させたのです。

田辺が1919年(大正8年)に日本陸軍へ納入するために開発した、食パン生地を使ったふっくらしたパンが現在のコッペパンの原型とされています。

田辺からパン製法を学んだ弟子たちが日本各地でパン屋を開業し、大正以降の日本ではアメリカ式の柔らかいパンの普及が進みました。

そこで、2013年、丸十ぱん店創業100周年を記念して、毎月10日は丸十の「十」の字にちなんで「コッペパンの日」になりました。

「コッペパン」は和製語

コッペパンの名前の由来には、いくつもの説があります。

現在では、フランス語の「切られた」を意味する「coupé(クペ)」が訛って「コッペ」になり、ポルトガル語の「pão」と合成した和製外来語という説が有力です。

いつごろからコッペパンと呼ばれるようになったかは不明ですが、戦前に日本人シェフがフランスパンのことを「コツペー」と呼んでいたという記録が残っています。

小型のフランスパンは皮が硬いので、食べやすいように焼く前に一直線に切り込みを入れます。

このパンの形を真似て日本でコッペパンが作られたという説がありますが、小麦粉が多くて硬いフランスのバゲットと、小麦粉以外の成分が多くてフワフワの日本のコッペパンでは食感がかなり違うので、確かではありません。

また、ジャムやマーガリンを塗るためにコッペパンの真ん中に切り込みを入れるからフランス語のクペという単語を使ったという説や、ドイツ語の「山頂、丘」という意味の「kuppe(コッペ)」とポルトガル語のパンの合成という説もあります。

戦中・戦後、コッペパンは配給品だった

第二次世界大戦中から終戦直後にかけて、主食のコメの代用品としてにコッペパンが配給されていました.。

配給パンはクーポンと引き換えだったので、クーポンパンと呼ばれ、それが訛ってコッペパンになったという人もいます。

1946年(昭和21年)に発表された石川淳の短編小説「焼跡のイエス」には「弁当用のコペが二きれはひってゐる」という記述があることから、戦後には確実に「コッペパン」という呼び名が定着していたと考えられます。

コッペパンは学校給食で普及した

コッペパンが全国的に認知されるようになったのは、1950年(昭和25年)に始まった学校給食からです。

終戦直後の食糧難の時期、進駐軍が放出したララ物資の小麦と脱脂粉乳で作られたコッペパンが学校給食に採用されました。

コッペパンは栄養価が高く、米飯と違って厨房設備が不要で、運搬や保管が簡便であることから、1980年代ごろまで学校給食に登場することが多かったのです。

現在の学校給食は米食が主流になったため、コッペパンが登場する回数が減っていますが、子どもたちにはいまだに人気のメニューです。

コッペパン専門店が登場

最近、全国各地にコッペパン専門店ができ、スイーツなどの変わった具材を挟んだ新しいメニューが続々と登場しています。

このブームの理由は、誰もが懐かしさを感じる味とどんな具材にも合うシンプルさのせいでしょう。従来の惣菜系だけではなく、新しいコッペパンにも挑戦してみてはいかがでしょうか。

コッペパン 由来