小田原城の歴史と見どころ特集!小田原のシンボルは魅力が満載

小田原城

みなさんは小田原という街を訪れたことがありますでしょうか。神奈川県の西側に位置し、箱根の山の玄関口であることで、箱根に行く際に電車や車で通過される方は多いと思います。

そんな小田原には、かつて戦国時代に関東の本拠地であったほど城下町としての古い歴史があることはご存知でしょうか。

その小田原の街の歴史の中心地であり、現在でもシンボル的な存在であるのが小田原城です。今回の記事ではその小田原城にスポットライトを当て、歴史や見どころについてご紹介していきます。

1.小田原城ってそもそもどんなお城なの?

小田原城は神奈川県小田原市にあり、かつての戦国時代の武将、北条氏の本拠地として特に有名です。

北条氏は戦国時代の関東における代表的な存在で、戦国時代は「北条氏に始まり北条氏の滅亡によって終わった」といわれるほど重要な役割を果たした存在でした。

(鎌倉時代の北条氏とは遠い血縁関係と言われていますが、後北条氏や小田原北条氏と呼ばれ区別されています)

その舞台となった小田原城は五代100年の長きにわたり関東支配の拠点とされ、四代目の当主である北条氏政の時代に、かの有名な上杉謙信や武田信玄の攻撃を退けるなど、難攻不落の城として知られています。

しかし、小田原城は北条氏の時代だけではなく、さらに古い時代から存在し、また戦国時代後においてもその重要な役割を果たしていました。

2.小田原城の歴史を知り、より観光を楽しもう

それでは小田原城の歴史についてご紹介していきます。

室町時代の小田原城の歴史について

小田原城は戦国時代のものが有名ですが、その前身は室町時代まで遡ります。室町時代は1338年から1573年までの期間です。

当時、駿河地方や小田原を含む相模地方あたりを支配していた大森氏が、現在の県立小田原高校付近に築いた山城が最初に建てられた小田原城です。

その当時の城の規模であったり、築城年であったりなどは明らかになっていません。15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられており、これが後の小田原城の原点となるものとなりました。

戦国時代の小田原城の歴史について

15世紀末に後の北条早雲である伊勢宗瑞が小田原の地に進出してから、この地を本拠地として北条氏が五代100年の期間にわたり関東地域での勢力を拡大していきました。

北条氏は現在の都道府県でいうと、小田原のある神奈川のみならず群馬や埼玉、東京の全部、千葉、栃木、茨城、静岡の一部を一時領土にする等、関東地方の大部分を制覇するに至りました。

小田原城は、北条氏によって関東支配の中心拠点として整備拡張され、さらには西日本で力をつけていた豊臣秀吉に対して防御の備えが固められました。

特に城下町や街道を囲む総延長9kmに及ぶ総構は壮大でしたので、小田原城は難攻不落の城と呼ばれるに至りました。

しかし、天正18(1590)年の豊臣秀吉の小田原攻め(小田原征伐)により北条氏は滅亡し、それにより戦国時代は終焉を迎えました。

戦国時代以後から江戸時代の小田原城の歴史について

北条氏滅亡後、豊臣秀吉は北条の領土を徳川家康に与えました。その家康は小田原攻めに参戦した大久保忠世を城主として置き、その大久保氏によって城は近世に合った城郭の姿に改修されていきました。

それまでは現在の小田原の市街地を含むほどの巨大な城郭でしたが、この時代に縮小化されています。その後、小田原城は阿部氏、稲葉氏、また大久保氏と徳川家臣の城主たちによって統治がされていきます。

その間に大久保氏時代の大改修や稲葉氏時代の大地震からの復興等、小田原城は戦国時代のものと大きく姿を変えていきますが、小田原城は箱根の関所を控えた関東の防御の要として幕末まで役割を果たしていきました。

明治以後の小田原城の歴史について

小田原城は明治維新の流れを汲み、明治3(1870)年に廃城となりました。そして江戸時代の多くの建物が解体された後、小田原城跡地には県庁や、皇室の御用邸が建てられました。

しかし、大正12(1923)年の関東大震災により御用邸だけでなく残されていた石垣もほぼ全壊し、江戸時代からの小田原城の名残は失われてしまいました。

その後昭和になってから再建の機運が高まっていき、昭和9(1934)年に二の丸の隅櫓(すみやぐら)が再建され、昭和35(1960)年には天守閣も再建されました。

続いて昭和から平成にかけて常盤木門、銅門、馬出門の門も再建されていきました。

また、その復興の中で小田原城は、昭和13(1938)年に二の丸と三の丸の一部が、昭和34(1959)年に本丸と二の丸の残り全部が国の史跡に指定されています。

3.ここは必ずチェック!小田原城の見どころ4選

では小田原城の見どころについてご紹介します。

小田原城の見どころ①「天守閣」

現在の小田原城の天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として総工費8千万円をかけて復興された小田原市のシンボルです。

江戸時代に造られた雛型や当時の建築の際に用いられた設計図を基に復元され、内部は歴史資料の展示施設となっています。

その構造は4階建構造となっており、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1,822平米となっています。

また内部の歴史展示施設には、甲冑・刀剣・絵図・古文書など、小田原の歴史や武家文化等を紹介する資料が展示されています。

最上階の標高は約60mあり、相模湾の景色が一望でき、城主になったような気分が味わうことができます。

小田原城の見どころ②「常盤木門」

常盤木門は小田原城本丸の二つの城門のうち正門にあたる非常に重要な防御拠点でした。そのためその構造は他の門よりも大きく堅固に作られていました。

現在の常盤木門は、天守閣が作られた約10年後の昭和46(1971)年に再建されました。

常盤木とは常緑広葉樹林の意味で、松の木が青々しい葉をつけて何十年も生長することから、小田原城の永久的な繁栄を願って名付けられたと言われています。

小田原城の見どころ③「城址公園」

小田原市は貴重な文化遺産である小田原城跡を長く後世に伝えることを目的として、本丸を中心とした城址公園として本格的な整備を行っています。

その甲斐もあり小田原城址公園は、平成18(2006)年に「日本の歴史公園100選」に選ばれました。またさくらの名所としても有名なことから「日本さくら名所100選」にも選定されています。

城址公園内には、小田原動物公園が設置されていて城と動物を一度に楽しめる日本でも珍しい施設となっています。

かつてはゾウ等の多種の動物がいましたが、現在は規模が縮小されニホンザルのみの展示となっています。

小田原城の見どころ④「大手門跡」

江戸時代に武家屋敷や藩の施設が置かれていた三の丸の周りには4つの出入口が設置されていました。その中で代表的な出口が大手門で、その跡地は国の史跡に指定されています。

かつて大手門は箱根方面を向いていましたが、稲葉氏の時代に江戸方面の東側に移されました。

大手門跡の石垣の上には、大正時代に設置された時の鐘があり、毎日午前6時と午後6時に鐘を鳴らす市民に馴染みのあるスポットとなっています。

4.終わりに

この記事を通して小田原城の魅力は伝わりましたでしょうか。

都内から普通電車でも一時間半ほどでアクセス出来る小田原城ですので、ぜひ行かれたことがない方は訪れてみたらいかがでしょうか。

この記事が皆さんにとって少しでもお役に立てれば嬉しいです。

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