モネの大作「睡蓮」が見どころ!パリのオランジェリー美術館を紹介

オランジェリー美術館

パリにあるオランジェリー美術館について知りたいと考えていませんでしょうか。大小あわせるとかなりの数の美術館がありますが、その中でもかなり小規模なのにもかかわらずひときわ人気を集めているのがオランジュリー美術館です。

「ぜひ行ってみたい美術館」として世界中の観光客のみならずフランス人にも大人気の理由は、やはり、印象派の巨匠クロード・モネの大作「睡蓮」がパノラマ展示のすばらしさにあります。

今回の記事では、そんなオランジェリー美術館の歴史や見どころポイントを紹介しています。ぜひ参考にしてパリの旅を楽しんで下さい。

1.オランジュリー美術館の歴史について

光溢れるオランジュリー美術館は、実は果物の「オレンジ」がその名前の由来だということをご存じでしょうか。

1853年にナポレオン3世が、チュイルリー宮殿の庭園にあった今にも枯れてしまいそうなオレンジの木をなんとか越冬させようと、主席建築家であったフィルマン・ブルジョワに温室を作らせたのがその始まりです。

その後、長いことオレンジの貯蔵庫として使用されていましたが、1873年以降は宴会会場や専門学校の入試会場、犬の品評会などあらゆるイベントを行うイベント会場となりました。

そして1921年になると、隣接するジュー・ド・ポーム美術館と共に企画展用の国立博物館に割り当てられることが決まっていたのですが、当時、クロード・モネが着手していた「睡蓮(すいれん)」という作品の展示用に「自然光の差し込む明るいパノラマの展示室」を探していた。

そんな時に、モネの友人であった当時のフランス大統領が、モネの要望に応え、建築家カミーユ・ルヘーヴルに設計させ、「睡蓮」の専用美術館を造ったのです。

これがオランジュリー美術館で、完成はモネの死後数年経ってからの1927年のことでした。オランジュリー美術館がオープンした当時は、モネの要望により、ガラス張りの天井に布が覆いかけられ、そこから優しい自然光が差し込む明るい美術館だったそうです。

2.オランジェリー美術館にあるモネの大作「睡蓮」について

モネの大作「睡蓮」が目の前に広がるパノラマ展示室で、モネの世界を心ゆくまで味わうことができます。この「睡蓮」のパノラマ展示室は2つの楕円形の大広間から形成されていて、中央に部屋の形と同じような楕円形のベンチが置かれています。そして、その周囲を囲むように緩やかなカーブを描く壁の一面に「睡蓮」の絵が展示されています。

ここに展示されている「睡蓮」は、22枚のパネルからなる合計8作の連作で、睡蓮を通して四季が描かれています。一部屋に4枚ずつ全部で8枚の絵が展示されていますが、それぞれに「朝」「緑の輝き」「雲」「沈む太陽」「明るい柳の朝」「2つの柳」「柳の朝」「木の輝き」というタイトルが付けられています。

実は、モネ、この一連の「睡蓮」の作品は、自分の庭で直接風景をみながら写生したのではなかったそうです。庭の風景を1度写真に撮ってから、自宅のアトリエに持ち帰り、写真を見ながら絵を描き起こすという作業を繰り返していたそうです。

3.睡蓮を描いた画家、クロード・モネの生涯について

この偉大な作品「睡蓮」を描き上げた画家、クロード・モネの半生を説明致します。モネは、1840年パリで食品雑貨商の息子として産まれ、幼少期の家庭は経済的にあまり豊かではなく、パリでの生活が苦しかったため、ノルマンディー地方に引っ越しました。

画家になりたいと思っていたモネは、両親の後押しもあり、1851年にル・アーヴル美術学校に入学します。その当時からすでに絵の才能に溢れていた若きモネは、25歳の時に初めてパリのサロンへ2つの作品を出品し、その2作ともが入選を果たしました。しかし、30歳まで落選が続きスランプに陥ります。自殺未遂を図ったこともあったそうです。

その後37歳の時に、モネのその後の人生の支えになった女性カミーユと結婚し、一児をもうけたモネは、幸せの絶頂のなかで、妻と息子をモデルに作品を仕上げていきました。しかし、愛妻カミーユは次男を出産後、当時流行っていた死の病、結核にかかってしまいます。そして、32歳という若さで亡くなってしまったのです。

そのときに描かれた作品は愛する人の死を悼み、自分の中の苦悩をぶつけるような荒々しいタッチで描かれたものばかりです。

オランジェリー美術館