徳川慶喜について簡単紹介!どんな人で何をしたのか3分まとめ

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徳川と言えば初代将軍の家康が有名ですが、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)を知っていますでしょうか。なかなか、徳川家はたくさんいるので、何をした人なのか、なかなか記憶に残らないですよね。

しかし、徳川慶喜は日本の歴史を大きく変える決断をした人なのです。記事では、徳川慶喜についてわかりやすくまとめて紹介します。

徳川慶喜(とくがわよしのぶ)はどんな人なの?

徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は、江戸幕府最後の将軍として有名です。

1873年に江戸小石川にある水戸藩邸で誕生しました。徳川斉昭の7番目の子として生まれたのです。

徳川慶喜は「この子は賢い!」と幼少期から言われていたので、お偉いさん達も「将来この子を将軍にしたい」と考えている人も多かったのでしょう。

徳川慶喜は何をしたの?

日本に歴史に大きな影響を与えた決断をしました。

それは「大政奉還」。

大政奉還とは、政権を天皇に返すこと。

政治について、いままで徳川幕府が決めていたけれど、天皇にその実権を返すからあとはお願いします。ということです。

この決断がどのくらい凄い出来事なのかというと、徳川と言えば初代将軍の家康が有名ですが、約260年も続いた徳川幕府の時代が終わったのです。

なぜ大政奉還したの?

説明すると非常に長いので、ここでは簡単にご説明します。

この時代の日本は、【徳川幕府軍VS新政府軍】で争いが起こり、混沌としていた時代でした。

なぜ争っていたのか?

それは、江戸幕府に対して不満を持つ人が多く、時代を変えたいと思っていたからです。

実は、そんな混乱している日本を狙って「もっと日本がごちゃごちゃして弱ったら、植民地化してしまおう!」と外国は考えていました。

それを知った徳川慶喜は「このままではまずい!日本人同士で争ってる場合じゃない」ということで、「そもそも政権を返しちゃえば、この江戸幕府と新政府軍の争いはなくなるのでは?」と考えたわけです。

そして、武士の時代を終わらせることになった「大政奉還」が行われたのです。

大政奉還後に慶喜はどうやって過ごしてたの?

徳川慶喜は1867年の30歳の時に大政奉還を行い、その翌年には江戸城を明け渡して江戸を去ります。

そして1913年に風邪と肺炎で亡くなります。なんと76歳まで生きたのです。

江戸を去ってから、何をしていたのか気になりますよね?

敗軍の将軍として謹慎を命じられ、水戸にある弘道館に20年ぶりに戻ったり、静岡で隠居生活したりなど、ひっそりと余生を過ごしたそうです。

慶喜は趣味が多く、絵画や写真、弓道、サイクリング、手裏剣にいたるまで、自分の好きなことに没頭していました。